今月の12日で言は2歳5ヶ月。ちょうど旦がこの2歳5ヶ月になった日に、言が生まれました。旦は初めての子ということもあって、とにかく大事に大事に育ててきたので、言が生まれるまでずっとずっと抱っこの甘えん坊でした。初めて手を上げたのも、旦2歳の1週間前。そのにっがーい思い出は、今でもしっかりと覚えています。なぜか1歳半で喘息が発症してからは、毎年2週間ほどの入院を繰り返し、入院までは行かなくても、時折ゼーゼーしたりと、いつも彼の体調には過敏に反応していました。今でもアメリカの喘息薬のお世話になっています。言が生まれる直前にも入院してしまい、私は「お腹の赤ちゃん、まだ出てこないでね」と言い続けていましたっけ。
2000年3月12日、言が生まれた。この日を境に、旦はいきなりママの抱っこが許されなくなる。今の言を見ていれば、まだまだ赤ちゃんさが残る時期だったと思う。でも、生まれたての赤ちゃんはとっても小さくて、2歳5ヶ月の旦はすごく大きく思えたのです。お兄ちゃんの宿命と言ってしまえばそれまでだけど、やっぱりちょっと寂しかっただろうし、「?」と思ったと思う。それでも赤ちゃん返りもなく、最初から言を可愛がってくれました。夜には「おろろん、おろろん、おろろんばい♪」なんて島原(九州)の子守唄を歌ってあげてくれたり。周りの人には、旦の協力ぶりをうらやましがられたりしていました。
彼は根っからのお人よしの優しい子で、おまけにとっても要領が悪い。一生懸命話したいことがあっても、彼のちょっと遅めの会話力では、言葉が言いたいことに追いつかなくて、何度も何度も言い直してしまう。あんまり話が進まず堂々巡りになるので、つい私は「話し出す前に、ゆっくり考えてからにしなさい」と、口うるさく言うようになっていました。一方言は、2歳前から話し始め、今ではほぼ完璧に会話が成り立ってしまっている。おかげでママと子供達が話をしていると、長いお兄ちゃんの話が終わるのを待ちきれず、弟が話し始め、兄弟げんかに発展するのです。
旦は、日本では年少さんとして幼稚園に通い、帰宅してカバンを置いたらすぐ外に飛び出して、近所のお友達と暗くなるまで遊んでいました。私といる時間より、お友達といる時間のほうがはるかに多かったのです。まだ4歳児ですから、いつも上手に遊べていたわけではありません。もめることも多かったのですが、それでもお友達と遊びたくて、バイバイして玄関に入ったとたんに「眠たいよ〜」と動けなくなるような毎日。「眠くなる前にバイバイしなさい!」なんて、よく怒っていたのが懐かしいです。
今アメリカに来て、その時期が本当に懐かしい。園や公園以外では、ほとんどお友達と遊ぶシーンがなくなってしまいました。3ヶ月のプレキンダー、1ヶ月のサマースクールと経てきて、それなりに英語も少しは覚えてきています。でもやはり、まだまだ意思疎通の会話力までは程遠く、仲良しのお友達以外の人と話すことが苦手です。日本では天真爛漫に、知らない人にも自分から声をかけていく積極さもあったのに、今はそれがなくなってしまった。彼の良いところがなくなっていくようで寂しい。ちょっとこっちの園生活に慣れてきたところへ、夏休み。これは思いのほか、彼にとって大きなブランクになってしまったのです。側にいると、私もつい彼の行動に口を挟んでしまうし、一緒に遊べる仲良しの弟がいるけれど、弟も所詮2歳児、あまり満足には遊べない。おまけに待ちに待ったサマースクールは、ちょっと悲しい思いもしたし、園が終わってから一緒に遊べるほど仲良しの子も出来なかった。そしてまた後半の夏休み。
彼の中に少しずつたまっていた、色んなストレスが入りきる器を越えたようです。旅行の初日から、瞬きを異常にたくさんするようになったのです。気にしながらの旅行になってしまいました。帰宅してすぐに医学書を読むと、「チック症」とのこと。「過度のストレスから出る症状。完ぺき主義の母親が干渉しすぎて、この症状が出る」などと書かれていました。多分これだろう、と思って医学書を読んで、母親に原因ありと書かれていて、胸をわしづかみにされたような気持ちになりました。勿論、すべての原因がそこにあるとは思いませんが、それでも私にとってかなりきつい文でした。
とにかく今私が出来ることは、そのままの彼を丸ごと受け止めてあげ、みっちり彼の話に付き合ってあげることだと思いました。いつもは怒りたくなることも、多少は目をつむって、弟にしてあげるように、彼のことも抱きしめたりひざに乗せてあげたり。そしてほかに出来ることはなんだろう?と、考えた時に、ふと思いついたのが絵本の読み聞かせでした。旦は絵本が大好きで、100冊以上の絵本があるのです。日本にいた頃や、ここに来てまだ何処にも通っていなかった頃は、随分と絵本を一緒に読みました。プレキンダーの個人面談で、「英語の習得には、英語の絵本の読み聞かせが一番です」と言われてから、つい日本語の絵本は・・・と読まなくなっていたのです。でも、これが私たちの一緒に過ごす原点だったので、迷わず彼の大好きな絵本を一緒に長い間めくることにしたのです。これが良かったのか、変化はあっという間にあらわれました。あんなに異常なくらいの瞬きが、ピタッとおさまったのです。いつもの明るい表情を見せてくれるようになりました。
英語の習得やお友達に関しては、8月27日からはじまるキンダーで、また変わってくると思います。この件はひとまず置いておいて、それまでの間、旦と密な時間を過ごして、いっぱいスキンシップをとりたいと思います。
ここまでの悩みは、ホームページの掲示板で少し書いたこともあり、ネットを通じて出来たお友達にとても励ましていただきました。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたいです。本当は、この件は通信には書かないほうが?とも思いましたが、心配してくださったお友達にも真実をお話した方がいいと思って書きました。書いたことによって、私もスッキリしましたし、何より旦が早い時期に症状が治まったので、安心した所もあります。先にも書きましたが、語学習得のことは、まだまだ長い道のりです。振り返って「あんなこともあったけれど、頑張ったね」と、思い出話を出来る日が来るのを信じて、毎日を過ごそうと思います。
色々な苦労が、自分達の成長の糧となることを願って!
補足として、海外で子育てを経験しているネットのお友達は皆、「海外に行ったからといって、簡単に語学力が付くわけではない。子供は順応性があるから、どこででも大丈夫なんて思わないで欲しい。大丈夫になるまで、非常に大きな苦労を乗り越えてきたのですから。」とおっしゃっていました。私も初めは安易に、「海外に生活すれば、順応性のある子供はすぐに外国語を習得する」と思っていましたから、今回のこの経験で、それは容易ではないと分かりました。沢山の苦労や辛い思い、そして頑張りがあったからこそ身についたものなのです。「帰国子女」と簡単に、かっこいいと思われがちですが、実際そこまで行くのに膨大な苦労があったということ、理解していただきたいです。我が家は、まだそれ以前の段階なので、えらそうなことは言えませんが、今回は海外に暮らす方の声を代表して書いてしまいました。生意気でごめんなさい。
いちほ(08/08/02)
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