SAN JOSE通信Vol.86

 

唐突ですが今回の通信は、我が夫婦のちょっと異色な新婚旅行(一応ピンク色)のお話を書こうと思います。結婚式が終わって1ヵ月後に出発したこの旅行、いつか記録に残しておこうと思っていたのですが、久しぶりに作業気分に突入したので一気に書き出してみました。モルジブ・セイシェル・・・そんな甘いムードの案が出たこともありました・・・が、行った先はグアテマラコスタリカ。渋い新婚旅行でした(笑)。何しろ大分前の話ですので細かい記憶は吹っ飛んでいるのですが。気分転換に、お暇な方だけお付き合いください。

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■大移動で旅の始まり

■グアテマラのティカル遺跡にノックアウト

■コスタリカのSAN JOSEに移動(サンノゼじゃなくて、サンホゼね)

■バスで移動後は参ったって(災難度

■コスタリカは雨季だったよ

■トルトゥゲーロへは運河クルーズで

■最高な気分の早朝クルーズ・・・帰りは死にそうだったよ(災難度★★

■やっと来たよ太平洋の楽園

■死んだかと思ったラフティング体験(災難度★★★

■もう帰るよ(締め)

 

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■大移動で旅の始まり

 

私たちがハネムーンに出かけた先は、グアテマラコスタリカ。いわゆる中米です(MAP)。

東京→ロサンゼルスへ一旦飛び、そこで12時間時間を潰し、夜中にロサンゼルス→グアテマラ・シティー(グアテマラのダウンタウン)へと向います。更にグアテマラ・シティーで12時間時間を潰し、更に更に夕方グアテマラ・シティー→フローレスと3度目のフライトが終わったところで、日本を出発してから初めての宿泊先へたどり着くのでした。

 

ハネムーンだというのに、丸二日間風呂にも入れず、横になることも出来ず、滅多に英語が通じないエリアへ移動するという、中々色気の無い旅の始まり。おまけにこの旅は、私たち夫婦がそれぞれ独身時代に経てきた旅のスタイルそのままで、『往復のチケットは最初に手に入れておくが、ホテルや予定は一切その時の流れに任せる』というものでした。

 

ロサンゼルスでは、難なくそこら辺で見つけた観光バスに乗り込んで見所を一気に回って時間を潰した。ロデオ・ドライブやビバリー・ヒルズ、チャイニーズ・シアター、ベニス・ビーチ、映画スターのお宅拝見・・・などなど、ちょっとハネムーンらしい雰囲気で過ごした時間である。

 

グアテマラ・シティーからは、もう英語は全然通じないスペイン語圏。空港から出ると、すぐに「荷物をうちで預かる」だの「タクシー乗らない?」などと言う子供達に囲まれて立ち往生。たまたま英語が話せる子供がおり、その子について荷物預かり屋に荷物を預け、タクシーで市内へ。タクシーは信じられないほどボロく、鼻の穴まで排気ガスと砂埃で真っ黒になった。しかし、ビュンビュン飛ばすものだ。一体何処で降りれば良いのか分からなかったけれど、市内付近で下ろしてもらう。乗る前に額は交渉済みだった、Q40(ケツァール1ドル=8ケツァール))。市内はまっすぐな道で別れた15ブロック。スペイン語の会話集を頼りに人に道を尋ねても、返ってくる返事が理解できない。ひたすら自分達の足で歩き回った。銃で武装している人々の姿も多く、非常に緊張したものだった。とはいえ、所々で爆睡をくりかえす二人。通常は市内バスが走っているのだが、あいにくこの日はストライキでタクシーしか移動の手段が無い。現在地すら確認出来ない状況になったところで、考古学博物館に行くのにタクシーで移動。走ったと思ったらすぐに到着、Q100・・・・どう考えてもぼったくり!腹を立てながらも、言い返す術がない。目的地についても、睡魔に襲われる二人。さすがに同時に寝てしまっては強盗に会うであろうから、交互に外のベンチで仮眠をとった。どこかの市場で地元民に交じって食べたごはんは、美味しかったのかも記憶に無い。

 

夕方になって、ようやくフローレスへ飛ぶ。今回グアテマラに来た理由は、グアテマラの北部のジャングルの中に発見された神殿、最大かつ最古のマヤ遺跡である『ティカル国立公園Tikal National Park)』を訪れるため。フローレスは、ティカル国立公園にアクセスしやすいとのことで選んだ。空港がある街から、たった1本の1kmほどの道でつながっているだけ(バスは通っていない)の、湖に囲まれた小さな町である()。フローレスに到着したのは、夜7時過ぎ。外は真っ暗だった。今回も大量の子供達に囲まれるものの、お父さんが「電話はどこ?」と聞き、英語が通じたのか身振りで分かったのか知らないが、何とか公衆電話にたどり着けた。今日泊まろうと目星を付けていた宿に電話しようとするも、電話が壊れており通じない。仕方なくそこら辺の車で目的地に連れて行ってもらうことにした。街燈も無い真っ暗な道を、英語の通じない相手が運転し、どんなホテルかも分からない所へ連れて行かれる・・・・丸二日寝ていない私達、かなり不安であった。その後の事は、無事に宿にたどり着き、出発以来初めてのシャワーを浴びベッドで眠れた喜びと、お父さんが部屋のトイレを詰まらせて困ったことしか覚えていない。

 

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■グアテマラのティカル遺跡にノックアウト

翌日は待望の遺跡に向うのだが、いくらフローレスが遺跡にアクセスしやすい場所と言っても、片道ギュウギュウの乗り合いバン で1時間半揺さぶられるのである。あぁ旅って最高!バンは1日に3本しかないので、気合を入れて早朝6時発のものに乗った。揺られている間に日が昇ってくる。そしてジャングルの入り口に到着。途中でニュージーランドから旅行中の夫妻と知り合い、朝食を共にした。相手の住所を聞いたので「後で写真を送る」などと約束したけれど、結局そのままにしてしまった。公園の入り口でQ30支払う。20・30メートルにも茂るジャングルの中を歩き続けると、それよりもはるかに背の高い神殿がそびえているに出くわす。神殿は点在しているものから、GRAN PLAZAと呼ばれる遺跡が集まった広場もある。の1号神殿は、いたみが激しいのと階段の傾斜が急で転落する人が後を絶たないため、しばらく登頂禁止になっていたそうですが、私たちが訪れた時は登る事が出来ました。ひたすら歩いたり登ったり、たまには芝生で本気で寝てしまったりしながら、一日中ジャングルの中で過ごした。一番素晴らしいと思ったのは、急な階段を登りきった所から眺めた、ジャングルの樹海から顔を出している神殿の群れだった。

の写真は、公園内に沢山あった、白い枝に茶色の毛が沢山生えているような一風変わった樹木。グアテマラの国の木(Sacred ceiba tree)です。

 

その晩は、小さなフローレスの町を歩き回り、この日迎えた私の誕生日をCerveza((セルベッサ)スペイン語でビール)で祝った。

 

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■コスタリカのSAN JOSEに移動(サンノゼじゃなくて、サンホゼね)

 

翌朝はサンタエレーナの市場(人々の視線が怖かった)をグルッと回って湖のほとりをのんびり歩いた後、もう一度フローレスへ戻って昼ごはんを食べ、お土産を買った。ここでお父さんが注文した料理は、La Mesa de los Mayasというワンプレートもの。お皿に載っていたものは、アルマジロ・食用ネズミ・イグアナ・ワニetc.7種類の肉。鶏肉のようで美味しいというものもあれば、臭みが強くて食べられないものも。

 

次はスペイン語で「豊かな海岸」と意味するコスタリカに向けて出発。コスタリカは、世界で唯一の非武装永世中立国である(どうも永世中立国スイスとは、大分立場も考え方も違うようだけれど)。空港で時間つぶしに、少年達に靴磨きをしてもらった。とても一生懸命に磨いてくれ、仕上げはピッカピカだった。フローレスからグアテマラ・シティー経由で、コスタリカの首都サンホセに夜9時過ぎに到着。宿泊するホテルを決め、レストランでBavariaというセルベッサで乾杯。

 

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■バスで移動後は参ったって(災難度

 

朝から小雨が降る続ける中、バスターミナル探し。サンホセは単なる通過点なのである。私たちがこれから向いたい先はカウィータ国立公園(Parque Nacional Cahuita)。ターミナル付近の人々には英語が全く通じず、筆談でチケットを手に入れた。バスによってバス停が点在しているので、それを見つけ出すのも時間がかかってしまう。スペイン語の勉強が必要だったわ、ホント。バスの時間が来るまで、国立劇場などで時間つぶし。この時は、この先何が起こるかも知らず呑気な二人だった・・・。今調べたら、ちゃんとバス情報の分かるサイトがあったのね。当時これを知っていれば〜。

 

バスに乗り込んだ時に、運転手に「カウィータに行きたい」とは伝えていた。同じバスに乗り合わせたほとんどの人は若者で、長い道のりを楽しむ為にラジカセをかけたりして上手に過ごしている。私達は、おしゃべりしたりうつらうつらしたり。

 

サンホセからカウィータまでの道のりは、ジェラシックパークの様な景色が4時間延々と続く。小雨から始まったバスの旅であったけれど、途中からは土砂降りになってしまった。ただでさえどこを走っているのか分からないのに・・・。後半には、ちらほら降りていく人も出てきた。そろそろ着くのでは?と思い出してきたとき、運転手が私たちに喚きだした。どうも良く分からないが、カウィータに着いたから降りろと言っているらしい。慌てて荷物と共に雨の中降り立ち、バスを見送った私達は固まってしまった。バス停も何もない、ただの真っ暗な1本道である。とりあえず電灯を求めてさまよっていると、建物を発見。わらにもすがる気持ちで中に入ってみると・・・そこではお酒を飲んで酔っ払った人々が踊っていた。

 

黒人の酔っ払った若い女の子が英語を話せたので、状況説明をした。すると傍にいた、これまたとんでもなくでっかい男性が「俺がホテルがあるところまで連れて行ってあげる」と言い出した(多分・・・だってスペイン語なんだもの)。あんたも酔っ払っているじゃないのよ・・・と思いつつも、もう真っ暗で頼るしかない立場の私達は送り届けてもらうことにした。乗せてもらった車は、運転席の後ろは3人掛けほどの椅子が向き合ってあるバン。後方のドアは観音開きで、私達はそこから乗り込んだ。出発直前に、もう一人男性が助手席に乗り込む。「誰なのコノヒト?」。1本道なのに、ハンドルを何度も極端に切るので車は蛇行運転だ。だから酔っ払いは・・・・、こんなところで事故死したくないよな。大体、この助手席の男は誰なのよ・・・、もしかして私たち拉致される?私たちの不安が急速に高まれば高まるほど、前の席の二人は陽気にスペイン語で騒ぎまくり。

 

お父さんが「いち、おまえだけでも逃げろ!」と囁いた。「ちょっと待ってよ、嫌だよ一緒に行こうよ!」大体こんな真っ暗闇の中、英語の通じないところで一人では逃げられないって。それに、あなた一人で残ってどうするつもりよ。新妻を守ろうと微妙にトンチンカンな正義感に燃えた夫の言葉のおかげで、生きるも死ぬもあなたと一緒よ!と心に誓う新妻(爆)。とりあえず、二人は片手で観音開きのドアのノブを持ち、何かあったらすぐにドアを開けて飛び出す覚悟でいた。

 

すったもんだの挙句、「今コスタリカは雨季だからねぇ〜」と運転手が言った。そして30分ほどのドライブの果てに、あっさり目的地に到着。疑っていたけれど、本当に親切心で送ってくれたのだった。暗いだけでも初めての場所は怖いってば。。。張っていた緊張の糸が、だらーーーーーーーーーーりっとなった。急に太っ腹になった私たちは、頼まれてもいないのに1000コスタリカ・コロン(1ドル=345コスタリカ・コロン)を渡してしまった。だって、本当に無事にたどり着けて嬉しかったんだもん。

 

検討をつけていたホテルにチェックインし、閉まりかけた客のいないレストランに滑り込みパエリアを注文。既に極度の緊張感の後で、食欲は無し。おまけに出てきたパエリアは、米の芯がしっかりと残っている状態で、益々グロッキーな二人だった。

 

追加:先ほどの超蛇行運転は、質の悪い道路に大雨が振ったため、所々出来た大きな水溜りを除ける為でした。翌日明るい時間に路面を見て気付いたのでした(情けない)。

 

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■コスタリカは雨季だったよ

 

勝手に身の危険を感じて疲れたお間抜けな夫婦は、その後も何だか疑い深くなっており、ホテルの部屋に防犯対策までして寝た・・・夫が・・・(苦笑)。おかげで翌朝も、なーんだか疲れている。今回泊ったホテルは、カウィータ国立公園の入り口にある。北米の豪華な国立公園と比べると、全然違うのね。きっとこの辺りにしては充分に観光地化しているのかもしれないけれど、雨季で閑散としているのも手伝って、実にシンプルだ。

 

さて今日は、美しいカリブ海のビーチに沿ってある、1本の熱帯ジャングルトレイルをもつカウィータ国立公園GO!ホテルの目の前の小さな橋を渡れば、すぐに公園の入り口。

 

・・・・・って、今は雨季なんだってば。期待していたカリビアンブルーのビーチは、雨続きで泥水化。かろうじてトレイルコースは、予想通りの熱帯ジャングルではあった。が、ここも入り口から2Km地点で、川が氾濫して道が完全に途絶えてしまっていた。しょんぼりである。もう公園内ではやれる事も無く、カウィータの小さな村を散策することにした。ちなみにカウィータ国立公園の入場料は、ドネーションという形をとっており、任意の額である。ここカウィータでは、既にやること無し、明日は早々に移動しよう。

 

村の中にあるインフォメーションの看板が架かった屋台で、黒人女性が一人で立っていた。ここで明日行こうと計画したトルトゥゲーロ国立公園(Parque Nacional Tortuguero)へのアクセス方を教えてもらった。

 

夜はまさにやることも無く、遅くまでレストランで飲みながら語っていた記憶がある。語り合った内容は、すっかり忘却のかなた。この日に飲んだセルベッサはImperialだったらしい。セルベッサのラベルをいちいちはがして持ち帰っていたので、飲んだセルベッサ記録だけはしっかり残っているワケ。

 

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■トルトゥゲーロへは運河クルーズで

 

昨日インフォメーションセンターで予約したトルトゥゲーロ国立公園(Parque Nacional Tortuguero)方面への足は、カウィータの村にあるレストランの朝食つきだった。出発時間が早かった為、早朝にレストランに出向き朝食を取る。程なくして、迎えがやってきた。まるで自家用車のような車に乗せられ、貸しきり状態でLIMONという街まで連れて行かれた・・・という記憶がある。

 

この辺りの記憶は定かではないが、LIMONのボート乗り場には屋根・部屋つきの豪華なボートから、ただ席のみあるボロめのボートまでピンキリだった。私たちの様に現地で安めに予約した者は、当然のようにボロめの方であった。

 

ボートの先頭の名前はWilliam。乗り込んだほかの乗客は、すべて地元民だった。そう、トルトゥゲーロへのアクセスは水路からしかないのである。旅行者は私たちしかいないにも拘らず、Williamは「あそこにイグアナ!」「ここにナマケモノ!」「あれはワニだ」「それはカメだ」「ほれ水牛だぞ」と、動物を見つけてはボートの速度をキューット落とす。その発見の速さに驚くと共に、そんなものには見慣れた地元民たちも親切に見つけきらない私たちに教えてくれた。

 

こうして緑の壁のようなジャングルの間を抜けて、4時間運河をクルーズした。時には一面水も見えないくらいの水草に覆われた場所も通った。Williamの動物を見つける眼力や、とうてい進めそうも無い水草の間を巧みな舵さばきで進む様子にも感心した。途中小雨が降り、慣れた手つきでポンチョが配られたりもした。陸の乗り物同様、運河の途中には給油する所があり、そこではしばし休憩も取った・・・と言っても、何もないのだが。全ては、地元民の普段の交通手段。違うのは、旅人の私たちのためにイチイチ動物を説明してくれたことだけだった。

 

乗客はそれぞれ自分の住む辺りで降りて行った。最後まで乗って、トルトゥゲーロの街まで行ったのは私たちだけ。私達はこの町で1泊するつもり。ホテルもすぐに決まり、さっそく街を散策してみた。

 

トルトゥゲーロは、亀の産卵で有名らしい。全世界に生息する8種のうち6種類のウミガメがコスタリカの海岸に産卵にやって来るのだ。しかし残念なことに、この産卵の時期は終わったばかりだった。またもや時期はずれ。村自体はとても小さく、な〜んにも無い。それでもジャングルっぽい中を結構歩き回った。張り切って海では水着になってみたけれど、とても泳ぐという感じの海ではなかった。日が沈む頃、海のそばにあったハンモックに揺られてみるものの、あまりの蚊の多さに早々に退散。明日は早朝クルーズだ。もう寝るしかないね。

 

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■最高な気分の早朝クルーズ・・・帰りは死にそうだったよ(災難度★★

 

朝も真っ暗な6時から、早朝クルーズへ出発。船頭は昨日のWilliam。乗っているのは私たち夫婦だけ。4席しかない小さなボートで、ジャングルクルーズ!昨日は通らなかった狭いところにも連れて行ってくれ、珍しい花から鳥から生き物から・・・・思い存分楽しませてもらった。今でもあのときの綺麗な空気は思い出せる。

 

2時間のクルーズが終わり、荷物をまとめて再びLIMONへ戻る事になった。これからもう一度、4時間運河クルーズだ。帰りは他に乗客も居なく、Williamと私たち。出発前に上着でも出しておこうか・・・と言っていた私たちに、「大丈夫大丈夫、雨降らないから!」と豪語するWilliam。信用してTシャツ短パンのままクルーズ開始。しばらくしたところで、前方の雲行きが怪しく見えはじめた。あっという間に雨である。降ったじゃないの・・・と思っていると、何やら後ろでガサゴソガサゴソ音がする。振り返ると、Williamが「見つかっちゃった!」というようないたずらっぽい笑みを浮かべながら、自分だけポンチョを着ているところだった(おいっ)。すぐに私たちにもポンチョを渡してくれ、アコーディオンの様に後ろから引っ張るタイプの屋根が張られた。

 

準備が整った所で、雨は本格的になり、屋根があっても意味がないほど激しく振り込んでくるようになってきた。ポンチョの縁を引き寄せながら、寒さに耐えた。時折すれ違うガラスの部屋つきボートの乗客たちは、にこやかに手を振ってくる。こっちは手なんか触れる訳が無い。ボートのスピードで雨は余計に激しく感じ、無言で小さく固まるしかない。・・・こうしてパンツまでずぶ濡れ4時間運河クルーズの一行は、無事にLIMONに到着した。今、手元にクルーズ後の1枚の写真がある。ビショビショになった私が、Williamと二人で親指を立てている写真だ。過酷な4時間だったけれど、思い出にはなったよ。ありがとうWilliam。もらった名刺の裏に、彼は「Capitoin William Mcdonald」と走り書いた。

 

この後私達は公衆トイレで着替え、LIMONからSAN JOSEまで2時間半かけてバスで戻った。その晩、久しぶりに戻ってきた都会にはしゃいだ私達は、レストランでワインを飲み、バーでカナディアンCCを飲み・・・新妻はホテルでもどし、新夫は激しい二日酔いに陥ったのだった(苦笑)

 

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■やっと来たよ太平洋の楽園

 

今日も、またまた4時間ほどのバス移動から開始。目指す先はマヌエルアントニオ国立公園(Parque Nacional Manuel Antonio)。位置はMAPで確認してください。SAN JOSEからは直行便は無く、7Km手前のQUEPOSという町で乗り換える。

 

道中はコスタリカに来てはじめての青い空が続き、昨晩もどした新妻はすっきり快調で大喜び。一方、しっかりと溜め込んでおいた新夫は気分最悪。正反対の二人を乗せたバスは、10時にはマヌエルアントニオに着いた。ここで宿を決め、早速マヌエルアントニオ国立公園(Parque Nacional Manuel Antonio)へ。国立公園手前のビーチは観光客ですし詰め状態だったけれど、一度公園内にはいると・・・そこは私たちの貸切ビーチのようだった。人影の無い白い砂浜が広がるビーチ、これだよっコスタリカ旅行で求めていたのは!やっとたどり着いたこの風景。

 

お父さんは楽しみにしていたシュノーケリング開始。砂で海中がにごっていたとのことで、残念がっていた。しばらく海で過ごした後は、トレイルをしてみる。う〜ん、ジャングル!何だかこの旅行、ジャングルばっかりだぞ・・・。でも、不思議なことに飽きないのね。結局美しいサンセットを見届けるまでそこで過ごした。

 

今晩はクリスマス・イブ。クリスマスディナーを予約しておいたので、やっとハネムーンらしい時を過ごせたのであった。

 

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■死んだかと思ったラフティング体験(災難度★★★

 

昨日地元のラフティングツアーに申し込んでいた。朝ごはん込みだと思い込み、空腹のまま集合場所に出向いた。どうやら朝食は含まれていなかったらしく、そのまま空腹の状態でラフティング開始となった。途中まで車で山中に入り、ラフティング開始地点までは自分達の足で山道を下っていく。参加メンバーは10人位だったであっただろうか、ボートは写真(イメージ画)のように大きなゴムボート一つと、二人乗りのボートが二つ。女性は全員大きなゴムボートの方に乗る事になった・・・が、やっぱりそこは新婚さん・・・二人乗りボートに乗ることを決めた。

 

ゴムボート比較ですが、大きなゴムボートの方は鍛え抜かれた体を持つスタッフが2名乗っており、オールの操作も全てやってくれる。客は名ばかりのオールを手にして「きゃ〜っ、わぁ〜っ、素敵〜」と喚いているだけで問題ない。一方二人乗りのボートの方は、オールを漕ぐのも本人であり、勿論スタッフは乗っていない。

 

ちょっとした説明の後、ラフティングはすぐに始まった。最初は流れも緩やかで、浅いしちょっとした岩しかない。左右に曲がる方法は最初に受けたオールの使い方で何となく分かっている・・・ところが、新夫はとにかく普段から言い間違いの多い人間で、「いちっ、岩があるから右に除けよう!」と言って左に行くようオールを漕ぐ。その都度ボートの先方にいる私は岩に激突してひっくり返るのである。乗ってすぐに大転覆した。浅くてもコレである。先が思いやられる。

 

段々と流れも急になり、アップダウンも激しくなってきた。こうなってくると夫との連係プレーなどとは言っている場合ではなく、ひたすら自分の感だけで右だの左だのとオールを使う。新婚夫婦の息は全くあっていない(苦笑)。そこへド級の下りが見えてきた。どう攻めようかと考える前に、だめだこりゃ・・・と諦めた私。あっという間に衝撃で空中に飛ばされ、水中に飲まれていった。川底を打った記憶があるが、もがいてももがいても水上に出られない。その時ふと頭に浮かんだのが、「ライフジャケットを着ているから、ジッとしていれば自然と水面まで浮かぶはず」だった。もがくのをやめて流れに身を任せる。意識がなくなる・・・ものすごい勢いでスタッフが乗ったボートが走りより、強い力で水上に引っ張りあげられた。救助されたらしい。目が開けられず、スタッフに腹を押され、漫画の様に水を大量に噴出したところで・・・・もう一人横に水中から引き上げられた人間がいた。どうも夫らしい。水をピューッと吐き続けながらも「ん?お父さんは確かボートから落ちていなかったぞ」などと考える。

 

すっかり意識が回復した所で、皆に事の顛末を聞いた。お父さんは、水中に消えた私を追って、助けようと自ら激しい流れの川に飛び込んだらしい。ここで助けてくれたのなら「かっこいぃ〜」かもしれないが、新婚夫婦はそろって救助される羽目になったのだから、滅茶苦茶かっこ悪い。

 

この後ランチ(この日初の食事)休憩をはさんで、後半のラフティングに入った。スタッフが「あなたはもう大きい方のボートに乗ったら?」と言ってくれる。「夫はどうなるのでしょう?」「彼にはあのボートでそのまま下ってもらう」・・・と。確かに心の底から、私は大きなボートで下りたかった。しかし、夫がまた一人であのボートから転落するのかと思うと不憫になり、夫と一緒のボートに乗ることを選んだ。後ろ髪が束でむんずと引っ張られるほど嫌だったのだが(苦笑)。

 

ツアー客皆に「勇敢な女性だ!」と言われながら、顔で笑って心で泣いて・・・ラフティング開始。もう川の下流付近に来ていたのでそれほど難しいことも無く、無事にゴール出来た。ラフティングが始まる前に、「僕達ハネムーンなんですよ」などとエヘラエヘラしていた上に、二人そろって救助された(爆)人騒がせな新婚夫婦である。なんともツアー客の話題つくりの為に体を張ったとしか思えない、恥ずかしいが思い出深い一日となった。

 

1996年、クリスマスの出来事でした。

 

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■もう帰るよ(締め)

 

傷だらけになった翌日は、これまた朝も早い6時発のバスで10時にはSAN JOSEに戻った。それ以降の記憶は全くないのだが、おそらく来た時と同じように、幾度か飛行機を乗り継いで日本に帰ったのだと思う。

 

ただ一つ記憶にあるのが、成田に着いてからも両家の親に連絡しなかった為、安否を心配されていたらしいこと。私たちが中米を旅行している間、いつだったか英語を話す観光客から最新のニュースを聞く機会があった。それは「ペルー日本大使公邸人質事件」だった。えらい事件が南米で起こったなぁ〜と感じつつ、確か両親達には南米に行くと言ったこともあったっけ?と一抹の不安も横切った。結婚式直後ではなく、1ヶ月経ってからのハネムーンという事もあったし、そもそも本人たちもいつどこにいるのか決めていない旅、双方の両親には往復の飛行機くらいしか連絡していなかったかもしれない。

 

おまけに本人達はサバイバルな日々を送って楽しんでおり、日本への連絡も怠っていた。電話事情が悪いせいもあって肉声は届けなかったし、グアテマラの空港から送った唯一のFAXは、実は怪しげに文字が詰まった形で届いており、「また連絡します」と書いておきながら、その後はエアーメールを書くのみ。エアーメールなんて、私たちが帰国するほうが先だ。新婚夫婦は確か中米か南米にいるはずだが、連絡が途絶えている。折りしも南米では日本大使公邸人質事件勃発。帰国予定の便が成田についても連絡もよこさない。その頃は、新婚旅行先で事件に巻き込まれるという事が多発した時期だった。心配をかけたと思う。

 

ですが、私達はこんな▲ハネムーンをすごし、この旅行中のどこかで長男を授かりました(きゃ〜)。大げさですが、本人達の勘違いもありましたが紛れも無く「命をかけて運命共同体としての夫婦の絆が深まった」思い出深い旅行となりました。詳細は忘れたとしても、私たちは一生印の3つの出来事は忘れないでしょう。これで1996年に行った、11日間の新婚旅行記おしまい。(完)

 

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たまにはこんなのも良いでしょ?・・・あれ、だめ?

 

いちほ(2/22/04)

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