荷物をまとめて、オフィス内で朝食。置いてあるテレビで、オリンピックの様子をやっとまともに見た。今世界中がオリンピックで盛り上がっているというのに、すっかり我が家は別世界に居たなぁ。 チェックアウトをして、すぐにI-10をひたすら北上。昼ごろにはEl Paso到着。さて、飛行機の時間までどうやって過ごそうか?ダウンダウン近辺は一方通行が多く、道が分かりにくい。 Rio Grandeに向かって走っていると、何やら国立公園の看板が見えてきた。ん?何だ?El Pasoに何があるというのだろう?サインに従って、吸い込まれるように行った先はシャミザール国立メモリアルだった。行ったは良いが、ここが何なのだか分からない(^^;) 中に入って対応に出てきた人に「ここは何ですか?」と真顔で尋ねる一家あり(爆)。係りの方は、きちんと説明をして下さいました。「1963年、1世紀にわたるメキシコとアメリカの国境論争が平和的に解決した条約締結を記念して設立されたモニュメントであり、現在は、様々な文化を理解する為の交流の場として場所を開放している」とのこと。建物の概観は、のように、メキシコっぽい絵が描かれています(でも、ここはアメリカ側)。 飛行機の時間まであまりないけれど、昨日情け無い感じで引き返したので、今日はちょっと国境を越えておこう。橋を歩いて渡るのだが、行きは一人0.35ドル支払う。皆、ちょっと隣の国までお買い物・・・という感じで、随分と気軽に行き来している様。橋の中央付近に、国境を現すサインがあった。
あっさりとメキシコ到着。時間が全く無いために、ちょこっと歩く程度で戻らねば。奥の方まで歩いていないのでメキシコに関しては良く分からないが、カラフルなバスが多く、タクシーの客引きが多いと感じた。来る時に渡ったのとは違う橋を渡って戻ってくる。料金は一人0.25ドル。アメリカを出るのは簡単だが、戻るのはちょっと時間がかかる。車は検問前で大渋滞。物売りのメキシコ人の多いこと多いこと。 検問でひっかかっては飛行機の時間が危うい・・・。でも、パスポートを提示するだけで簡単に通過出来た。しまいには、「コンバンワ」と日本語で声かけられたり。えっと、今昼だからね。簡単に米国に戻ってきた我が家、母は横のガードレールをよじ登り、検問の様子を写真に撮ってみた(▲)。で、ポリスに怒られた・・・お父さんにも怒られた・・・子供の前でなんだ!と・・・反省。カメラを没収されなくて本当に良かった(滝汗)。 それにしても、アメリカとはいえ、国境付近はほとんどメキシコ。白人の姿など皆無。El Paso自体が、もうメキシコの雰囲気であるといっても過言ではないのだけれど。国境付近のごみごみとした雰囲気は、ちょっと夜は歩きたくないと思わせた。 レンタカーを返却した後、飛行場には時間ギリギリに滑り込み。荷物が重いと言われ、カウンター前に荷物を広げて、中味の移動をやるのだが、何度スケールに乗せてもOKが出ない。冷や汗かきまくり、子供たち走り回りまくり、の焦った時だった。こうして無事に、エルパソ→フェニックス→サンノゼと乗り継いで戻ってきた。これで2004年夏の旅は、無事終了!はふっ、ただいま!(完)
旅の終わりに・・・ 今回の旅は、想像していたよりも疲れなかった。きっと、暑くて焦げそうな中のトレイルがほとんど無かったからではないかと思う。テキサスもニューメキシコも、私たちが訪れたところは緑がとても多く感じたし、雨にもよく出会ったのも一因しているのだろう。それにしても、天気の激しいところであった。特に山はコロコロと天候が変わるので、一日のうちで焦げるぅ・・・から、濡れるぅ・・・まで、味わうことが出来た。あれ程までに雷のラインをしっかりと見たのは、アメリカに来て初めてだった。 結局、終始サンノゼ時間で過ごしてしまった旅でした。 エピソード・・・ @ 車の中では、絵を描いたり、宿題をしたり、けんかしたり・・・と、なかなか寝てくれないので、子供たちの睡眠時間を確保するのに苦労した。後半は、うまいタイミングで寝てくれたので助かったが、おかげで夜はUNO付き合いで親が眠かった(^^;) A 歩くとなると、絶対に先頭を譲らなかった旦。そんな様子を見ながら、「そういう時期ってあるよね〜。でも、数年後には“おやじぃ、かったりーよぉ”とか言って、一番後ろからちんたら着いてくるようになるんだろうね。今だけだよね、こうやって一緒に歩いてくれるのって」等と目を細めていた私達でした。 ご参考 眼鏡・コンタクト無しでは生活出来ないほど度近眼の私。旅には必ず使い捨てコンタクトを持参します。アメリカに来てからは、こちらのサイトからインターネットで注文をしています。 |